日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
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青木 新バットで逆襲 
2011年07月12日 (火) | 編集 |
≪タイ・カッブ型≫

ヤクルトの青木が、バットの改造に乗り出した。
大リーグで12度の首位打者に輝いた
“球聖”タイ・カッブが発案したことで知られる、
グリップが円錐状に太くなったバットの導入だ。
『タイ・カッブにするのは初めてですね。
 ちょっと最近、バットを軽く感じていたので。
 試してみようと思っています』―。

交流戦は打撃フォームのバランスが崩れ、
打率.253と低迷。
その中で、最終カードのロッテ戦(6/18,19)で、
4年目内野手の三輪のタイ・カッブ型のバットを借り
6打数3安打。
これで“刀替え”を決断した。

これまでの型よりグリップが太くなる分、
重さは10㌘増の920㌘。
青木が新兵器で復調のきっかけをつかむ。


~若さんのツバ目線~

勝率5割で乗り切ってほしかった交流戦だったが、
借金2で終わった。
序盤のリーグ戦で好調だった打線は、
パの強力投手陣に圧倒されてしまったね。

交流戦のチーム打率は.229で、総得点は12球団中、
11番目の57点(1試合平均2.38点)。
これでは波に乗り切れない。

青木が打率.253(95打数24安打)と苦しんだことも、
その要因のひとつだろう。

構え方からして本来の姿ではなかった。
かがみ込んで尻が一塁側に突き出る形になり、
かかとに体重がかかっていた。

結果、腰が引け、泳いで手打ちになってしまう。
さすがの青木も本来のスイングができなければ
納得いく結果を残せない。

ポイントは2つ。
背筋を伸ばし、両足の親指に体重を乗せることだ。
そう構えることで、下半身主導の振り切るスイングが
可能になる。 
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青木宣親 己の才能を証した日
2010年12月15日 (水) | 編集 |
偉大な記録は、当たり前のように静かに打ち立てられた。
9月26日、青木宣親はプロ野球史上初、
2回目の年間200本安打を記録した。

この偉業が大きく騒がれなかった背景には、3人の存在がある。
史上最大の下克上を果たし206本を打ったロッテの西岡剛。
イチローの210本を抜いて214本の新記録を作った
阪神のマット・マートン。
そして最多安打の本家イチローが3日前にMLBで10年連続200本安打を
達成したことが、青木を小さなニュースにしてしまった。

しかし、彼が西岡やマートンと決定的に違うのは、
これが2回目ということだ。
イチローですら、日本では200本安打は'94年の1回だけ。
その210本を「無邪気に野球をやっていたときの記録」
と位置付けるイチローの言葉が、
狙って打つことの難しさを物語っている。
なぜなら、相手から執拗にマークされる日本では、
露骨に厳しいコースを攻められるからだ。
事実、イチローの死球は翌'95年に18個に増加。
今年の青木も18死球だった。ちなみに西岡は4、
マートンは3死球しかない。

~2度目の偉業達成後、イチローが語った祝福の言葉~

青木の打撃開眼は、
最初に200本超えを記録した'05年の春に遡る。
前年、新人としてファームで首位打者に輝いた青木は
自信を持って新シーズンを一軍で迎えた。
ところが開幕からさっぱり打てない。
それどころかバットに当たらず三振の山を築いていく。
叩きつけるバッティングでゴロを打ち俊足を生かすのが彼のスタイル。
ところが、ゴロも打てないのだから、
まったく打つ手がない。

このとき青木は、常識の真逆を敢行する。
本人曰く「上から叩いてもダメなので、
下からしゃくりあげるくらいのつもりで振ってみようと思ったんです」。
すると、どうだろう。これが自身の感覚にぴったりくる。
ボールを十分に引き付けて身体の前で自在に対処できる「間」が
手に入ったのだ。  

本人はその感覚を
「テニスのラケットのようにボールを面で打てるようになった」と言う。
上から叩く斜めの軌道だと、ボールと出会う接点は一点しかない。
ところが下から振ろうと意識することで、
バットは早めに水平軌道に入り、
ボールを線でとらえることができるようになったのだ。

  
2度目の偉業達成後、イチローは
「打席に入ることの怖さを知ったうえでの200本なのだから、
 すごいことだよ」と祝福した。
200本を目標に据え、
それを達成することの難しさを知る者だけが感じる、
怖さと共感がそこにある。
孤高のイチローの背中を青木がとらえた日とも言えるだろう。

【青木宣親 Norichika Aoki】

1982年1月5日生まれ、宮崎県出身。
早稲田大学卒業後、ドラフト4巡目でヤクルトに。
'05年、イチロー以来2人目となる年間200本安打を記録。
今年、209安打でプロ初2度目の200本安打を達成した。
175cm、80kg

ミルミル野球復活
2010年07月13日 (火) | 編集 |
                村瀬秀信=文


一時はどん底の状態まで落ちたスワローズが、
なぜ再起を果たすことができたのか。

不調だった先発投手陣の復調や、青木、田中、相川の打撃好調
なども考えられるが、
最大の要因は増渕、松岡、林の救援投手陣が
確立されたことであることは間違いない。

かつての阪神のJFK、
今季もオリックスのJHK(J・レスター、平野、岸田)、
ソフトバンクのSBM48(攝津、B・ファルケンボーグ、馬原、甲藤)など、
近年の野球界では終盤の7、8、9回を凌げる
「勝利の方程式」と呼ばれる救援陣の仕事ぶりが、
試合を有利に進める条件となっている。
昨年のヤクルトも、松岡、五十嵐、林の救援陣が機能し
3位となったが、今季は、五十嵐がFAで抜けてしまい、
救援陣に穴が空いてしまっていた。
4月、5月の不振はシーズン前から懸念されたこの穴が
埋められなかったことが一因ともいえよう。

~その穴を4年目の増渕が見事に埋めた~


「ハンカチ世代」の高卒ドラ1としてルーキーイヤーから
期待を受けていた増渕は、先発としてなかなか力を出せず、
昨年はケガもあって1試合のみの登板で終わっていた。

今季は開幕から中継ぎで登板し、
150kmをマークするなど球威も戻っていたが、
大きな転機となった試合があった。
6月7日のロッテ戦。
打者4人に2本塁打を含む4安打と一死も取れずにKO、
10連続安打の日本記録にも貢献してしまうというオマケもつく
屈辱の登板だった。 
その登板の後に、増渕はこう語っている。

「自信のある真っすぐを打たれたらしょうがない。
 気合いを入れて思い切り腕を振るだけ」。
開き直った結果、威力あるストレートを中心とした力の投球で、
その後の5試合を無安打無失点。
林と松岡の前の7回に増渕を起用することを決めた小川監督代行からも、
「最近は自信を持って投げている。
 イニング途中からでも頼る場面が出てくる。
 もう完全に任せられる」と信頼を勝ち取り、
新救援陣の一角の座を確たるものにした。


~「トリオ・ザ・ミルミル」の活躍で“フン詰まり”打線も活性化~

こうして完成したヤクルト新救援陣。
増渕、松岡、林(LIM)の頭文字を取ればMMLとなるところだが、
ここは今年の「ミルミル野球」と、
母上がヤクルトレディである増渕に免じて、
M・M・LIMの「トリオ・ザ・ミルミル」とでもしておきたい。
かなり強引ではあるが。

悪玉菌をやっつけて、生きて白星を小川監督代行まで届ける。

序盤にリードを奪えば勝ちが計算できることで、
フン詰まりの打線も活性化。

しぶとくとった点数を、みるみる投げて、みるみる凡退、守り切る。
チームイキイキ、トリオ・ザ・ミルミル。

そんな極端な連敗、連勝が続く「ミルミル野球」のヤクルトではあるが、
昨年の戦い、そして今季の連勝中の戦いぶりをみれば、
スワローズが力のあるチームであることは間違いない。

4、5月に連敗したのは、選手がケガや不調に陥り、
メンバーが揃わずにいたことも大きい。
その証拠に、好調の波を引き寄せた小川監督代行は、
高田監督の頃と比べても戦力をあまりいじっていないのである。
したことといえば、青木や増渕の配置転換、
新外国人にホワイトセル
(この名もミルミル拡販路線の暗喩のような気がしてならない)
を投入して外国人を競争させるなど、
選手にちょっと目先を変えさせたこと。
それだけで、チームの活性化と、勢いを引き寄せたように思える。

~まるでビフィズス菌のような小川監督代行の発言~

 小川監督代行は監督としてのポリシーを次のように語っている。

「監督に色がなくてもいい。結果が出ればいいのだから」

 さすがはミルミル野球の長、まるでビフィズス菌ではないか。

とはいえ、昨日の阪神戦では増渕が打たれてスワローズは2連敗。
調子は下降気味で、順位も5位に後退と、
「ミルミル野球」を前提に考えると、
悪い方にミルミル行くような嫌な予感を感じずにはいられない。

しかし、奇しくもミルミルが発売された'78年は、
ヤクルトスワローズが初の日本一に輝いた年である。
再発売となった2010年も何かが起きるに違いない。
「ミルミル野球」の今後に注目だ。



【筆者プロフィール 村瀬秀信】

1975年神奈川県生まれ。
茅ケ崎西浜高校野球部卒。
全国を放浪後、出版社・編プロ勤務を経て独立。
エンタテイメントとプロ野球をテーマに
「Number」「週刊文春」「週刊プレイボーイ」「GOETHE」などの雑誌へ寄稿。
幼少期からの大洋・横浜ファンのため、
勝敗に左右されずプロ野球を愉しむ術を自然と体得。
趣味は球場グルメの食べ歩き。
応援歌の詞の鑑賞

ある少年ファンの言葉を胸に、辞任した高田繁監督が描く“夢”
2010年06月02日 (水) | 編集 |
               鷲田康 = 文 

ヤクルトの高田繁監督が、シーズン半ばにしてその職を辞した。

「監督として責任を感じている。
 最後にこの状況を変えるには、
 監督を辞めることじゃないかと思った」

5月26日の楽天戦後の神宮球場。
急きょ報道陣を集めて行なわれた辞任会見で、
高田監督は静かに決断の理由を語った。

大阪の浪商から明治大学を経て巨人に入団。
攻守にスマートな外野手としてV9の一翼を担った。
現役を退いてからは1985年に日本ハム監督に就任。
その後は古巣巨人のヘッドコーチ、2軍監督を歴任した。

だが、その手腕を最も発揮したのが、
2005年から3年間務めた日本ハムのGM時代だった。
ダルビッシュ有投手のドラフト指名や稲葉篤紀外野手のFA獲得などで、
豊富な人脈を生かした数々の強化に成功。
現在の“強い日本ハム”の礎を築いてきた。

~次世代へ野球人生を捧げたい……高田監督の熱い思い~

「でも、僕のような年寄りにできることは、
 若い人に自分たちの経験を伝えること。
 そのためにはやっぱり自分がユニフォームを着て現場に立ちたい。
 そこに自分の残りの野球人生を捧げたい」

2008年にヤクルト監督として7年ぶりに現場復帰したのも、
実はそんな「次の世代」への思いがあったからだった。
そして就任2年目の昨シーズンは、
チームを初のクライマックス・シリーズへと導いた。

だが、歯車はそのときからギシギシと鈍い音を
立てていたのかもしれない。

3年契約の最終年を迎える今季に向けて、
チームは新外国人選手の獲得を含めて、
ほとんど補強らしい補強をしなかった。
そのことに不満がなかったわけではなかった。
しかし、長いフロント生活から得た独特のバランス感覚で、
強く現場の要求を突きつけることをしなかった。
球団の資金不足も十分に承知していたこともあり、
不満をあえて表に出すことはなかった。

~補強無しに突入した今シーズン。打線が機能しなくなった~

そうして突入した2010年のシーズン。
開幕直後こそ好スタートを切ったものの、
その後は不安視された打線が全く機能しなくなり、
ズルズルと黒星を積みかさねていった。
5月2日から6連敗。
そして白星1つをはさんで交流戦が始まった12日からは
再び連敗地獄にはまり込んだ。
事ここに至って、
チームは新外国人選手の獲得やコーチ人事などで
てこ入れを図ったが、時すでに遅かった。

~球団が慰留したにもかかわらず辞任した真相とは~

「(この日の楽天戦の)勝ち負けは関係ない。
 これだけ騒がせて、
 選手が思い切って野球に打ち込める状況ではなかった。
 今朝、家を出る時点で腹は決まっていました」

ここ数日は一般紙を含めた新聞の紙面で、
進退問題が何度も取りざたされた。

「ヤクルトはリストラ的なことはしない」

 鈴木正球団社長はこう語って慰留に努めた。

その中で高田監督を最後に辞任へと決断させたのは、
ある少年ファンのひと声だった――
そう報じたのは、5月26日付の朝日新聞だった。

「高田、やめちまえ!」

試合前には必ずファンへのサインに応じる監督に浴びせられた、
少年ファンからのヤジ。
このひとことで監督の戦意は一気に失われた、
と辞任発表の当日、同紙は報じている。
その日の楽天戦で9連敗。
泥沼から抜け出すことができないままに、
監督はファンの声に背中を押されて“辞任”を決意した。

プロの世界はこれで最後。少年野球への夢を追いたい。
「次は少年野球の指導をしたい」

まだ、今季が始まったばかりの頃、
高田監督が親しい知人に漏らした“夢”だった。

一部では監督退任後はGM就任などのウワサが流れた時期もあったが、
実は早くから3年の任期を終えたら、
プロの世界とは決別することを決めていた。
今度は若手の選手ではなく、もっと小さな子供たちに、
「次の次の世代」に野球の魅力と楽しさを伝えたい。
そう決めていたのだ。

だからこそ少年ファンから浴びせられたひとことが、
たまらなく重く感じられたのかもしれない。
  


【筆者プロフィール 鷲田康氏】

1957年埼玉県生まれ。
慶應義塾大学卒業後、報知新聞社入社。
およそ10年にわたり読売ジャイアンツ取材に携わった。
2003年に独立。
日米を問わず野球の面白さを現場から伝え続け、
Numberほか雑誌・新聞で活躍。
著書に『僕のメジャー日記 松井秀喜』(文藝春秋)、
『ホームラン術』(文春新書)がある。

ヤクルト浮沈の鍵を握る、「田中世代」のエース候補
2010年02月17日 (水) | 編集 |
~プロ4年目の増渕竜義~

                氏原英明 = 文  


 プロ野球キャンプの取材で、沖縄に来ている。

第3クールにさしかかった今は、
ほとんどのチームが紅白戦など実戦的な練習に入り、
チームの骨格作りを始めている。
首脳陣はここから選手をふるいにかけるわけだが、
巨人以外のすべてのチームに共通するのは、
昨シーズンと比べて何らかの上積みがなければ、
当然優勝もあり得ないということだ。
たとえ、先発ローテや打順などの布陣が昨シーズンと同じであっても、
そこに至るまでの過程に「競争」があるかどうかで
開幕後のチームの伸びが変わってくる。
そういう非常に重要な時期に、キャンプは差し掛かっていた。

前回のコラムで、キャンプ序盤の見どころは「新戦力」であり、
さらに「エース」争い、あるいはポジションに「空き」が出れば、
その争奪戦が繰り広げられるのも見ものであると書いた。
もちろん他にも見どころはあると思うが、
そういう意味で今回のキャンプで注目しているチームの一つが、
ヤクルトスワローズである。
あるポジションに「空き」が出たのだ。

~「ポスト五十嵐」どころか投手陣全体の再建が急務~

昨季3位でシーズンを終えたヤクルトは
初のクライマックス・シリーズ進出を果たしたものの、
絶好調の前半戦に対して後半戦は一気に落ち込んでいくという
落差の激しい成績で、大きな課題を残した。

さらにはセットアッパーを務めた五十嵐亮太がFAで
メジャーリーグへ移籍。
つまり、ポジションに「空き」が出たのだ。
そうすると、注目すべきは五十嵐の穴を埋めるための人材探しとなるわけだが、
ヤクルトの課題は「ポスト五十嵐」の発掘だけでは収まらない様子なのだ。

昨季、前半に快走したヤクルトが後半に入って大失速したのは
ピッチングスタッフが薄かったから。
序盤の快進撃を支えた五十嵐、松岡、林という3人の勝ちパターンが崩れると
実に脆いことが判明し、
前半戦と後半戦の防御率の比較で実に1.0近くも数字を悪化させているのだ。
3人の体力不足というよりも、彼らをサポートする他の投手が現れず、
さらにシーズンを通して長期間戦える充実した戦力がなかった。
その上に五十嵐が抜けたのだから事態は深刻である。

~抜擢した若手が一人前に育たないヤクルトの投手陣~

ヤクルト投手陣のデータを改めて掘り起こしてみると、
若手を入団早々から抜擢・起用する傾向があるにもかかわらず、
そうした選手たちが安定するまで、
つまり、チームの信頼を得るまでに成長しきっていないことが分かる。
選手が一人前になった目安として
「3年間」の安定した活躍とはよく言われる数字だが、先発であれ、
中継ぎや抑えであれ、
3年連続して活躍した選手がヤクルトには極めて少ないのだ。

3年以上、続けて活躍しているのは石川、館山の両輪だけで、
2004年新人王の川島亮に至っては1年目がベストキャリアという始末。
現実的には、ヤクルトの投手陣では押本らトレード組が活躍しているのが実情だ。
編成方針としてはチームの弱点を補うという点で正しいものだが、
逆にいえば、育成は成功していないということが言えるのではないだろうか。


~「田中世代」のドラ1入団投手はいまだ戦力にならず~

ドラフト1位で入団した選手たちもまだ満足できるような結果を
残せていない。

2月11日の紅白戦では、
4年目の高校ドラフト1位・増渕竜義と2年目のドラフト1位赤川克紀が
それぞれ先発。
中継ぎで'07年大学・社会人ドラフト1位の加藤幹典、
'06年・自由枠で入団の高市俊が登板した。
実戦初日から彼らが登板したことは、
首脳陣たちがいかに若手の彼らに期待しているかがうかがえる。

だが、結局全員が失点してしまった。
それだけが大きな問題とは言わないが、
投球内容も満足できるものでは無かったので、今後に不安を抱かせた。
なかでも増渕は4回を投げて6安打3失点。
若手世代の象徴「田中世代」でもある彼の伸び悩みは、
ヤクルトの若手そのものの苦境を表しているように思える。

~1年目152km→4年目140km。不調に喘ぐ増渕のストレート~

高田監督は
「(増渕は)ブルペンではいい球を投げられるようになっている。
  だから、紅白戦1試合だけの結果ですぐに判断するということはない」
と寛容な態度でコメントしていたが、
試合後の当の本人はやりきれない表情をしていたので、
自らの不振は自覚していたようだった。

「ブルペンで投げているフォームで投げられなかった。
 全然、力が出せなかった。
 キャンプに入って、以前のようなボールが戻ってきたと思っていましたけど、
 去年と同じです。自分の球が投げられていない」

~増渕のストレートの威力は高校時代から評判だった~


甲子園出場はないものの、高校3年夏、
埼玉県予選5回戦でノーヒットノーランを達成、準優勝に輝いている。
'06年高校ドラフトで1位指名。
豊作と言われた「田中世代」で無名校出身にもかかわらず、
重複指名を受けたことは、
増渕の評判がいかに高かったかを物語っている。

プロに入団してから1年目に開幕ローテを任され、
MAX152kmまでその数字は伸びた。
しかし、3戦目の中日戦で打ち込まれ、2軍に落ちると、
それ以降は1軍に昇格しても、本来の力は発揮できなかった。
今ではストレートで最速140kmに届くかどうかというくらいだから、
彼がいかに苦しんでいるかがよく分かる。


~速球派の若手投手陣には無難にまとめる傾向が~

増渕のピッチングで気になるのは「かわそう」という姿勢だ。

大胆で迫力ある投球スタイルが彼の持ち味のはずだが
「コントロールでうまくまとめようとする」(増渕)今のスタイルは、
 その本来の良さを消している。
 11日の紅白戦でも無難なピッチングに終始する
 その姿勢がやけに気になった。

 ただ、そうした傾向は彼だけではない。

13日に先発し、3回6安打4失点と打ち込まれた3年目の由規は
「四球を出さないことをテーマにして臨んだ」と前置きしながら
「キャッチャーのミットに合わせるような腕の振りになっている。
 勢いが足りない。
 そこは見直していきたい」と、
増渕と同じような悩みを吐露していた。

ヤクルトの投手陣、特にストレートが魅力の若手投手陣の間では、
速球と制球力との間に挟まれるジレンマが、
共通の問題になっているのかもしれない。

~「今年は大胆さを1番のテーマにしていきたい」と増渕~

増渕もそのへんのことは自覚しており、
今後は積極的に取り組んでいくと発言している。

「(紅白戦では)初の実戦と言うこともあり、
 いいところを見せようと思いすぎて、力んだりとか、
 そういう部分が出たのだと思います。
 プロに入って、これまではコントロールを気にしすぎて、
 腕が振れなくて駄目でした。
 今年は大胆さを1番のテーマにしていきたい。
 自分がプロに入れたのはストレートの球威だと思うので。
 大胆に投げることで、球のスピードも出てくるし、
 その中でフォームを安定させていきたいです」

今の野球界を引っ張っている若手と言えば、
「田中世代」なのは間違いないだろう。

 だからこそ、増渕には期待したい。

「田中世代」に属する活気ある投手がヤクルトから出てくれば、
チーム全体においても良い起爆剤になるのではないか。そう思えてならない。  



【者プロフィール 氏原英明氏】

1977年ブラジル生まれ。奈良大学を卒業後、
地方新聞社でのアルバイト勤務を経て、フリー活動を開始。
高校野球を中心に活動を続けるが、
野球を通じた人間性、人生観を伝え続け、
Numberのほかに野球専門誌で活躍。
WEBの世界でも「人間力×高校野球」(高校野球情報.com)と題した
コラムを連載している。