日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
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“底抜けに陽気で過干渉な兄貴” デーブ大久保は誰にも理解されない?
2010年07月29日 (木) | 編集 |
                中村計 = 文 


今でも鮮明に覚えている。
デーブ大久保こと、大久保博元の第一印象だ。

私が記者1年目のときのことなので、もう十年以上も前の話になる。
大久保はそのとき、すでに現役を退き、解説業に就いていた。

 東京ドームの関係者食堂でのことだった。

トレーにその日の日替わりメニューを載せ、レジの前で並んでいると、
ちょうど真横にやってきた大久保が何事か話しかけてきたのだ。
まるで十年来の知り合いにでも話しかけるかのような親しさで。

 もちろん初対面だった。

話の内容はさっぱり覚えていないのだが、その飾らない人柄というか、
それなりの有名人でありながら
無防備過ぎるとも思える人柄に驚きもしたし、
少々、感激もしていた。

おそらく私と同じような経験をした人が
何百人といるのではないだろうか。

そのときの第一印象は、その後も変わらなかった。

取材で何度か世話になったことがあるのだが、イメージ通り、
常にサービス精神旺盛。
底抜けに陽気で、嫌悪感のようなものを抱いたことは
皆無といっていい。

だが、そんな極端に開放的な性向にブレーキが付いてないのでは?
そう危惧させる面も同時に持ち合わせていた。

~皆にかまって欲しい寂しがり屋こそ大久保ではないか?~

 今年の自主トレ中のことだ。

大久保は、ある選手が車で練習場に現れるなり、
ちょっとしたイタズラを始める。
まずはその選手の運動靴を車高のある四輪駆動車の屋根の中央
に放り投げる。
被害を受けたその選手が、苦笑しつつ、
その靴をやおら回収する。

するとその隙に今度は車のキーを強奪、
一瞬のうちにある場所に隠してしまった。
選手はキーを探すのは後回しにし、
再び苦笑いを浮かべながら、ひとまず練習に向かった。

大久保のその行為はややもすると執拗ささえ感じさせるものだったが、
選手の方は大久保の性質を十分に理解していたように思える。

 大久保の言い分はこうだった。

「ほら、あいつは寂しがり屋だからさ。
 かまってやらないとダメなんだよ」

わからないでもない。
でも、二人のやりとりを見ていて、それは逆なのではないか。
そんな風に感じたことも確かだった。
かまってほしいのは、大久保の方なのではないか、と。

その選手は、ある程度のキャリアを持ち、
鷹揚すぎるほどに鷹揚な選手だったからまだいい。
だが、万事この調子で接していたら、しかも、
それが毎日ともなると、中には煩わしいと感じる選手もいるだろうな、
という気がしたものだ。
私が目撃した選手のように、
それを受け流すだけの「適当さ」がない選手は特に。  


~デーブは貴重なキャラ。理解者さえそばにいれば……。~

だから先日、大久保が
「不適切な指導」があったということで二軍打撃コーチを解任された
という報道に接した時、
誤解を恐れずに言えば、合点がいかないこともなかった。

やれ新人選手に暴行を働いたとか、
やれ罰金制度が行きすぎていたとか言われているものの、
まだ詳細は明らかにされていない。
ただ思うのは、よくも悪くも大久保は選手に干渉し過ぎたのだろう
ということだ。
東京ドームで全く面識のない私に話しかけたような調子で。
はたまた、自主トレのとき、選手にちょっかいを出した調子で。

大久保は'08年に西武の一軍打撃コーチに就任するも、
シーズン終了後にプライベートな問題が発覚し、
わずか一年で退任。
だが監督の渡辺久信の強い要望もあり、今年、
二軍打撃コーチとして再び現場に復帰していた。
渡辺は、そんな大久保の過干渉な性質を
誰よりも好意的に解釈していたうちの一人だった。
だが、ファームにはそのような見方をする人は
圧倒的少数派だったのだろう。

あのキャラクターは貴重といえば貴重だった。
渡辺のような理解者がそばにいたらと思わないでもない。
ちょっと惜しいな。それが私のごく私的な感想である。


【筆者プロフィール 中村計氏】

1973年千葉県出身。
ノンフィクションライター。
某スポーツ紙を経て独立。
『Number』(文藝春秋)、『スポルティーバ』(集英社)などで執筆。
『甲子園が割れた日 松井秀喜の5連続敬遠の真実』(新潮社)で
第18回(2007年度)ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。
他に『佐賀北の夏』(ヴィレッジブックス)、
共著に『早実vs.駒大苫小牧』(朝日新書)などがある。
『雪合戦マガジン』の編集長も務める。
趣味は、落語鑑賞と、バイクと、競艇。

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ファーム行き決定の西武・雄星。松坂、涌井との差は“下半身”にあり。
2010年03月16日 (火) | 編集 |
                  鷲田康 = 文  


西武のドラフト1位ルーキー・雄星投手の試行錯誤が続いている。

初めてのプロのキャンプ。
1軍スタートはしたものの、結局は力不足が露呈。
オープン戦からはファームに合流して再調整をすることになった。

「段階を踏んでやっていく。
 まずシート打撃から入って、教育リーグで打者と対戦させるつもり」

2軍落ちを決めた渡辺久信監督は、
今後の育成方針をこう明らかにした。

10年、いや20年に一人の素質であることは誰もが認めている。
天性のしなやかさ。
特に雄星の特長は肩甲骨の可動域の広さとヒジの柔らかさだ。
体に巻きつくように腕がしなり、放たれたボールは独特の伸びを生む。
腕が遅れて出てくることによって
打者からリリースポイントが見えにくいという特長もある。

投手として教えても教えられない腕と体の使い方ができるからこそ、
大器としての期待が膨らむのは当たり前だった。

だが、それでも現段階では1軍のレベルには届かないというわけだ。

~“プロの方が楽”という横浜高校の過酷な走り込み~

西武ではタイプこそ違うが同じように高卒ながら、
プロ1年目から頭角を現わした投手がいた。

松坂大輔(現レッドソックス)と涌井秀章の二人の右腕だ。

ニ人とも鳴り物入りで入団し、1年目から着実に1軍で歩を進めてきた。
松坂は4月の初先発でいきなり155キロをマークして
プロ初勝利を挙げると、その年16勝をマーク。
涌井も開幕には1軍ベンチに入りし1年目から13試合に先発、
6月18日のヤクルト戦で初勝利も挙げている。

「あの二人に比べると少し時間がかかるかもしれないね」

高卒即戦力となった二人と比べて雄星は、
長い目で見るべきだと指摘する声が首脳陣の間でも多い。

 それでは松坂、涌井と雄星の違いは何なのか?

 それは下半身の“完成度”の差だった。

「松坂が入ってきたときに一番びっくりしたのは下半身の大きさだった」

こう振り返るのは育ての親と言われる
東尾修元西武監督だった。

確かにパワーピッチャーの松坂は、体全体の筋力も強かったが、
下半身、特にお尻周りの大きさは高校生離れしたものがあった。
比較的、スマートな体型の涌井も、
実は下半身の筋肉に関してはかなりなものがある。
そして二人に共通するのは、
名門・横浜高校出身ということだった。

「とにかく横浜高校の野球部は死ぬほど走らせる。
 本当に反吐がでるまで走らされて、
 1年生から徹底的に下半身を鍛えられる。
 横浜のOBたちは、プロ入りしても
 “走ることに関しては、プロの練習の方が楽だ”
 というぐらいですからね」

 ある球団のスカウトの証言だ。

~横浜・筒香が証明した横浜高OBの驚異的なスタミナ~

実はいま売り出し中の同校OB、
横浜のドラフト1位ルーキーの筒香嘉智内野手も、
キャンプで周囲を驚かせたのがそのスタミナだった。
184cm、88kgとちょっと太目の体型で、
いかにもすぐに息が上がりそうにみえるのにどうしてどうして……。

「走ったら中堅、ベテラン選手がへとへとになっている中で、
 筒香は涼しい顔してメニューをこなしていたの。
 只者ではないと思った」
(横浜担当のベテランスポーツ紙記者)

横浜高OBの凄さはここでも証明されていたわけだ。

もちろん雄星も決して走らなかったわけではないだろう。
ただ、何人ものプロ野球選手を輩出し、
プロ関係者も認める横浜高野球部に伝わる
下半身強化のメニューで鍛えられた松坂らと比べると、
やはりプロ入りしたときの雄星には差があった。
だからプロの世界の最初の一歩を技術から入れた松坂や涌井に比べて、
雄星はまず体の強化となったわけだ。

そう考えると改めて、
松坂と涌井を生んだ横浜高校野球部の凄さが身にしみてくる。


【筆者プロフィール 鷲田康氏】

1957年埼玉県生まれ。
慶應義塾大学卒業後、報知新聞社入社。
およそ10年にわたり読売ジャイアンツ取材に携わった。
2003年に独立。
日米を問わず野球の面白さを現場から伝え続け、
Numberほか雑誌・新聞で活躍。
著書に『僕のメジャー日記 松井秀喜』(文藝春秋)、
『ホームラン術』(文春新書)がある。
菊池雄星の大学進学への疑問 ~思い起こされる落合の言葉~
2010年02月02日 (火) | 編集 |
        鷲田康 = 文  

1993年12月のことだった。

その年、フリーエージェントで巨人移籍が決まった
落合博満内野手(現中日監督)と入団2年目を迎えようとしていた
松井秀喜外野手(現ロサンゼルス・エンゼルス)の対談に
立ち会ったことがある。

球界の大先輩との対談というのに、
約束の時間になっても松井が現れずに遅刻。
そんなハプニングもありハラハラしたことばかりが
記憶に残っているのだが、
その中で落合が最後に話した言葉を今でも鮮明に覚えている。

「女遊びをしてもいいし、酒を飲んでもいい。
 でも、まずすべてに優先して野球を考えろ! 
 まず野球、それだけだな……
 そうすれば他のことをやる暇はなくなる」

遅刻したことを怒るでもなく、
飄々と対談をこなした最後に残した言葉には、
落合らしい迫力が込められていた。
そしてその落合の言葉があったからかどうかは別として、
その後、数年間の松井は野球をまず第1に考え、
死に物狂いでバットを振り続けた。

~通信課程とはいえ大学に進学する余裕が今の雄星にあるのか?~

「本当にそんな余裕があるんでしょうかねえ……」

知り合いのスポーツ紙記者がいぶかっていた。

西武・菊池雄星投手(登録名・雄星)の“大学進学”問題だった。

プロ1年目のキャンプを目前にして菊池が、
東北福祉大の総合福祉学部通信教育部に
入学願書を提出しているそうだ。
書類選考に合格すれば、
4月からはプロ野球選手で大学生という二足のわらじをはくことになる。

もともと読書が趣味という雄星にとり、
今回の大学進学は引退後に「教師になりたい」という
夢へのスタートだという。

同学部はリポートの提出を中心に、単位を取得。
カリキュラムには老人福祉施設などへの2週間の実習も含まれ、
最終的には10年以内に124単位を取得すれば卒業して教員免許も取得できる。

もちろん雄星が夢に向かって踏み出すことにケチをつけるつもりはない。
むしろ野球だけではなく、自分の将来をしっかりと見つめて、
そこに向かって努力をしようという姿には、共感するところも多い。

だが、それが今なのかと考えたときに、
フッと思い出したのが落合の言葉だった。

プロの世界は、いうまでもなく厳しい。

たとえ“10年に一人”といわれる天才左腕であろうと、
これからは乗り越えなければならない壁がいくつもある。

今はまだ、そのことだけ、野球のことだけに専念して、
まず選手として一人前になってからでも、
第二の人生への準備は十分ではないのだろうか。 


~松井秀喜とイチローが挙げる一人前になるための条件とは~

そして野球選手が一人前になるにはどれぐらいかかるのかという
ヒントとして、
松井とイチロー(シアトル・マリナーズ)の2人が
同じ年数をあげていることを紹介したい。


~「3年間、きちっとした成績を残して初めて自信が持てる」~

日本を代表する2人のプレーヤーが、
軌を一にして「3年」という数字を口にしている。
1年、2年、結果を残してもそれが本当に自分のものなのかはわからない。
3年続けてある程度の数字を残したときに、
初めて自分のやってきたことに自信を持てる。
そしてそこが頂ではなく、
そこからがプレーヤーとしての本当のスタートになると
2人が口にしていることも、非常に示唆的だ。

それぐらいにプロの世界を生きていくということは厳しく、
全身全霊で打ち込まなければ“一人前”にはなれないということだ。


~“夢”を実現するためには野球に専念する勇気も必要だ~

おそらく今回、雄星が大学に合格しても、
しばらくは勉強に割く時間も体力も残らないような日々が続くだろう。
ただ、根がまじめな雄星だけに、
そうして思うように大学の勉強に取り組めないことが、
逆にストレスになってしまうのでは、という危惧もある。
だからやはりいま、
野球以外のことに取り組みだすことは、
決してプラスにはならないのではないだろうか。

「すべてに優先して野球を考えろ」

そのために今は“夢”をしまっておく勇気も、必要だということだ。





【筆者プロフィール 鷲田康氏】

1957年埼玉県生まれ。
慶應義塾大学卒業後、報知新聞社入社。
およそ10年にわたり読売ジャイアンツ取材に携わった。
2003年に独立。
日米を問わず野球の面白さを現場から伝え続け、
Numberほか雑誌・新聞で活躍。
著書に『僕のメジャー日記 松井秀喜』(文藝春秋)、
『ホームラン術』(文春新書)がある。
我が家のルール 菊池雄星
2009年12月23日 (水) | 編集 |
夏の甲子園、敗れてもなお観衆を魅了した花巻東のエース。
150kmを超える剛速球の持ち主は、
マウンドを降りても献身的な応援で仲間を鼓舞し続けた。
大勢の報道陣に囲まれても嫌な顔ひとつせず、
丁寧な受け答えに努める。
合後には大泣きし、国内かメジャーかを迫られ、また涙を流す――。


ただひたすらにまっすぐな、純朴を絵に描いたような青年は、
みちのく岩手の地でいかにして育て上げられたのか。

 なんとも間の悪い涙だった。

「いろんな人に迷惑をかけてしまったな、っていうのがあって。
ただ、誤解を与えてしまったことは申し訳ないんですけど……」

 ~日本プロ野球か、メジャーリーグか――。~

「20年にひとりの逸材」と言われた花巻東のエース、
菊池雄星の進路に関する報道合戦が始まったのは、8月24日、
花巻東が夏の甲子園の準決勝で敗退した翌日のことだ。

みちのくの18歳は、その間、ボールを1球も投げなくとも、
何度となくスポーツ紙の1面を飾った。
そんな前代未聞といってもいい騒動に終止符が打たれたのは
2カ月後のことだった。
日米合わせて20球団との面談を終えた菊池は、
ドラフト会議を4日後に控えた10月25日、花巻東で記者会見を開いた。

「日本でプレーさせていただきたいと思います」

それが、菊池が顔中ににきびを作った末に選び出した答えだった。
菊池はたどたどしいながらもいつもの丁寧な言葉遣いで約15分間、
自分の思いを語った。
そして、すべてを語り終えたと思いきや、突然、
菊池の頬を涙が次々とつたい始めた。

 ~相手の心情に同化してしまうがゆえに菊池は涙を流す~

 見慣れた光景といえばそうだった。

春の甲子園のときも、夏の甲子園のときも、試合に敗れたあと、
菊池は堰を切ったように泣き始め、
しゃくり上げながら2リットルの
ペットボトルがいっぱいになるのではないかと思えるほどの
大量の涙を流した。

「なんか、出ちゃうんですよね。
 負けず嫌いって言ったら、それまでなんですけど」


 ~左腕から繰り出されるストレートは最速155kmを誇る~

いや、泣いてしまうのは、自分が負けたときだけではない。
母の加寿子が話す。

「小学生のとき、お兄ちゃんの野球の試合についていって、
 勝っても負けても泣いていました。
 それでお兄ちゃんでも忘れているようなことでも
 覚えてるんです」

相手の気持ちがわかるというよりも、
完全に同化してしまう。
そして、その本人以上に深く感じ入ってしまうのだ。

 父の雄治も、証言する。

「シニアリーグの卒団式のとき、
 キャプテンの雄星が代表して3年生に贈る言葉みたいのを読んだんです。
 そうしたら、読みながら、もう、うううう……ってきてて。
 会場も、みんな、ううううううう……って」

以前も、雄治は同じ話をしていた。
よほど心に留まっているシーンなのだろう。
だがひとつ、注釈が必要だ。
後者の「うううう」のなかには、おそらく雄治も含まれていた。


 ~菊池が父から受け継いだのは恵まれた体格と溢れる涙~  

菊池がやり返す。

「小学校の卒業式のときは泣いたかもしれませんが、
 中学の卒業式のときは泣いてません。
 隣で父が泣いていたときはありましたけど。
 自分の子どもの卒業式でもないのに」

他の人に言われるのならまだしも、
父親に言われるのは納得がいかない、そんな様子だ。

「あの人こそ、すぐ泣きますよ」

身長188cmもある父から菊池が授かったものは、
大きな体だけではなかった。

菊池は会見の席であふれ出してしまった涙の根拠をこう語った。

「(メジャーの関係者に対して)遠くから足を運んでいただいたのに、
 結論が国内となって申し訳ないという思いです」

無念の涙――。
そう解釈したメディアも多かったが、ある意味、
菊池はそんなフクザツな18歳ではない。
恐らくは、メジャーを選んでいたとしても、
菊池は同じように涙したに違いない。
逆に、日本の関係者の期待を裏切ってしまった、と。

「常に、すごいって言われたいんですよね」
菊池は人を喜ばせたり驚かせたりすることが大好きな少年だった。
加寿子が思い起こす。

「私が帰ってくると、リビングとかがきれいに
 片付いていることがよくあった。
 暇だったからやっといたよって。
 ただ、大事なメモとかも捨てられてたりして……。
 でも一生懸命やってくれたのに、そんなことも言えないですしね」

実に微笑ましい。
そんなねつっこい献身ぶりは、その後も変わらなかった。
菊池が言う。

「常に、すごいって言われたいんですよね。
 だから、掃除でもピカピカにしたい。
 何か頼まれごとをしても、約束の日の2日前に終わらせるとか。
 どんなことでも、人よりも完璧にやりたいんです」

責任感とも、ちょっと違う。
ただ単に、相手の気持ちに応えたいのだ。
その思いは、菊池にとって本能と言ってもいいほどに御しがたい
感情だった。

「昔、ゲームカードとかでも、
 これ交換しようって言われたら断れなかった。
 向こうが弱いカードで、こっちが買ったばかりのレアカードであっても。
 あそこ遊びに行こうよって誘われたら、疲れてても行っちゃうし」

そんな菊池が、あの場面で、むしろ泣かないほうが不自然だった。
誠意を尽くしてくれたメジャー関係者の気持ちに応えるどころか、
失望させてしまったのだから。

その後のことまでには考えが至らなかったのはご愛嬌だろう。
会見に同席していた監督の佐々木洋が苦笑する。

「そこでおまえ泣くかと。何してんだよ……って。
 また、僕らが悪者みたいになるじゃないですか。
 仕向けたとか、操作したとか。
 いや、それにしても本当によく泣きますよね。
 しかも余計なときに(笑)」  

 ~人兄弟のなかで、雄星だけに与えられた特権~

菊池がいちばん初めに泣いたのは、1991年6月17日、
岩手県盛岡市にある病院のとある一室だった。
体重は4185gもあった。

北斗七星からとった長男の雄斗、
南十字星からとった長女の美南にならい、
菊池にも宇宙にちなんだ名前がつけられた。
それが雄星という名だった。
ちなみに3歳下の妹は星花だ。
『銀河鉄道の夜』で知られる作家、宮沢賢治の故郷にふさわしい、
透明感と強さを兼ね備えた名前だった。

菊池が生まれもった気質を徐々にのぞかせ始めたのは、
1歳になったばかりのころだった。
母の加寿子が思い出す。

「まだ真っ暗な時間にハイハイをしてきて、
 外に連れてけって髪の毛を引っ張ったりする。
 だから朝の3時とか4時にベビーカーで近くの公園を散歩していたんです。
 あのころは毎日もうへろへろでしたね」

菊池家では、そんな菊池を「野放し」にして育てたのだという。
3番目の子どもで少し大らかになっていたのもある。
無論、男の子だということもあった。
そして何より、菊池に限っては、
それがしてあげられることのうちで最高のことだと思った。
加寿子が語る。

「小さいときからとにかく目立ちたがりで、かわいらしくて、
 見ているだけで楽しかった。
 好奇心が旺盛なので、今日は何をしてくれるのかなって
 ワクワクしているような感じでしたね。
 動物が大好きでしたから小岩井農場なんかへ行くと、
 羊をずーっと眺めていたり。
 4人のなかでも、いちばんおしゃべりでしたし。
 そういったのびのびとした感性をそのままにしてやりたかった。
 だから、細かいことで怒るのはやめようって。
 そもそも腕白な反面、考えはしっかりしていましたから、
 怒る材料もなかったですしね」

(続きは Number743号 で)






【筆者プロフィール 中村計氏】

1973年千葉県出身。
ノンフィクションライター。某スポーツ紙を経て独立。
『Number』(文藝春秋)、『スポルティーバ』(集英社)などで執筆。
『甲子園が割れた日 松井秀喜の5連続敬遠の真実』(新潮社)で
第18回(2007年度)ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。
他に『佐賀北の夏』(ヴィレッジブックス)、
共著に『早実vs.駒大苫小牧』(朝日新書)などがある。
『雪合戦マガジン』の編集長も務める。
趣味は、落語鑑賞と、バイクと、競艇。
菊池雄星がファンの情熱で伸びる!! 清原、松坂から学ぶ西武の球団経営
2009年11月02日 (月) | 編集 |
                       中村計 = 文
 西武か……。

 この感じ。

1985年、PL学園の清原和博を引き当てたとき。
また、1998年、横浜高校の松坂大輔の交渉権を獲得したときの
「感じ」がフラッシュバックした。

先日のドラフト会議で、
花巻東の菊池雄星が次に着ることになるユニフォームの色が
ほぼ決まった。
西武のレジェンドブルーだ。

 それにしても、西武は引きが強い。

~清原、松坂を継ぐスーパースター候補・菊池をどう育てる?~

西武の育成システムは評価が高い。
それは誰しもが認めるところだろう。

だが、こと清原、松坂という超一流クラスの選手となると、
どこか「力を持て余していた」という印象も拭えない。

先日、ある北海道日本ハムの関係者がこんな話をしていた。

「昔、巨人の選手はお客さんが入るから気を抜けない、
 だからうまくなる、って言われていた。
 それが今の日本ハムを見ていて本当によくわかりましたよ」

日本ハムのダルビッシュ有がその才能を遺憾なく発揮しているのは、
連日のように熱狂的なファイターズファンで埋まる
札幌ドームの環境と無縁ではあるまい。
楽天における田中将大もそうだ。
観客の大声援が、最後の最後まで
チューブの中の歯磨き粉を使い切るように、力を絞り出させるのだ。
最も自分を磨かなければいけない時期に、
2人は本当にいい球団に入ったと思う。

西武も「埼玉西武」に変わってから、
徐々に平均観客動員数を伸ばしている。
今年も、福岡ソフトバンク、北海道日本ハムに次いで
パ・リーグでは多かった。
トータルの観客動員数でも、
ホーム球場の収容人数が多いというのもあるが
東北楽天を上回ってさえいる。
だが、やはり楽天の方が地域に根差した一体感がある。
熱がある。

~一流選手にふさわしい西武ドームの熱気が欲しい~

一流選手には一流選手にふさわしい舞台というものがある。
ましてや清原や松坂のように高校時代、
超満員に膨れあがった甲子園球場の興奮を知っている者なら、
観客が半分にも満たないスタンドに寂しさを覚えるのも無理はない。

その昔、「清原は大舞台に強い」とか
「松坂は大舞台に弱い」と言われたように、
舞台が大きくなればなるほど気分が乗ってきたり、
また逆に気持ちが空回りしてしまっていたのは、
常日頃、ホームにしているグラウンドの環境が
影響していたのではないだろうか。

手を抜いていた、とまでは言わない。
でも人間など、そういうものだ。
人が見ていればいるほど力の水位は上がる。
また、人に見られている時の感覚を知っている者ほど、
誰も見ていなければ力の水位は下がる。    



~「世界の宝」菊池を西武の営業サイドがどう活かすか?~

ユニフォームを着た西武のスタッフの優秀さはもうわかっている。
だから、「世界の宝」とまで言わしめた菊池の才能を
どこまで活かすかは、
それ以外のスタッフたち、営業サイドの人間の力に
かかっていると思うのだ。

菊池も超満員の甲子園球場の味を知っている選手だ。
かといってタイプ的に観客の多寡によって
力を調整するような選手でもない。
普通にやってさえいれば、それなりに力は出すだろう。
だが、我々は最高の素質を備えた選手が
常に100%の力を出すところを見たいのだ。
もっといえば、101%、102%の域に達する瞬間を見たい。 


~地域球団として埼玉県にしっかり根ざしたチームを!~

それに必要なのは、地元の西武ファンの熱のこもった大声援だ。

過去、西武は清原、松坂というスター選手をつかみながらも、
それを永続的な球団人気につなげることができなかった。
3度目の正直だ。
今度こそ、地域球団として埼玉県にしっかりと根付かせて欲しい。

球団のためにも、菊池のためにも、野球界のためにも、
このチャンスを絶対に逃さないでもらいたいものだ。 




   ~筆者プロフィール  中村計~

1973年千葉県出身。
ノンフィクションライター。
某スポーツ紙を経て独立。
『Number』(文藝春秋)、『スポルティーバ』(集英社)などで執筆。
『甲子園が割れた日 松井秀喜の5連続敬遠の真実』(新潮社)で
第18回(2007年度)ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。
他に『佐賀北の夏』(ヴィレッジブックス)、
共著に『早実vs.駒大苫小牧』(朝日新書)などがある。
『雪合戦マガジン』の編集長も務める。
趣味は、落語鑑賞と、バイクと、競艇。