日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
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多くの球数が本当に必要なのか?前田健太に見る『投げ込み』の意味
2011年01月26日 (水) | 編集 |
                   氏原英明 = 文 

近年、特に気にかかっているのは、キャンプイン前、
あるいはキャンプ中の投手陣の「投げ込み」に関する報道である。

やれ「ブルペンにはいつ入る」「肩が出来上がった」
「○○○球の投げ込みを行った」などなど……。

~かたくなな「投げ込み」信仰は果たして正しいのか?~

この時期に投げ込みをすることの是非を問わずして、
その球数の多寡だけが先行することに、
果たしてどれほどの意味があるのだろうか。

たとえば昨年、この時期にメディアを賑わせていた
新人の菊池雄星(西武)、二神一人(阪神)は、
キャンプイン前から早くもブルペン入りしていたが、その後、
二人は身体に異変をきたし、
シーズンのほとんどを棒に振ってしまうこととなった。
投げ込みだけが故障の原因とは決めつけられないのだが、
理由の大きなひとつだったことは間違いないだろう。

だからこそ……メディアや野球ファンにあえて問いたいと思う。
また、選手や首脳陣にも改めて聞きたいのだ。

そもそも投げ込みはそれほど重要なものなのだろうか、と。
投げ込む球数の多さは、何を示しているのだろうか。

~100球以上の投げ込みをしてこなかった沢村賞投手!?~  

昨年の春季キャンプで、そんな風向きを変えるかのような情報を目にした。
キャンプ中、投げ込みに関する興味深いコメントを
自身のブログに書き込んだ選手がいたのだ。

昨シーズン、セ・リーグの投手部門を総ナメにした
広島の若きエース前田健太である。
彼のブログ『じゃけん まえけん 頑張るけん!!!』にはこう記されていた。

「プロに入って初めて ピッチング練習で100球以上の投げ込みをしました」

プロ入り4年目にして練習で100球を投げ込んだのが「初めて」というのである。

前田健は名門校出身、甲子園でもバリバリ投げていた男である。
力投派とも知られる彼は、
てっきり投げ込み至上主義を貫いているのかと想像していただけに、
そのブログの告白には驚かされたものだ。

「何のために投げ込みをするのか、僕は意味を見出せないんです」
だが、このブログにはちょっとした脚色が行われていた。

シーズンオフ、前田健にこの日のブログについて聞く機会があった。
プロに入って初めて100球を投げたという告白を意外に思った、と。
すると彼はこう教えてくれた。

「僕は投げ込みをするのはあんまり好きじゃないんです。
 (ブログには)100球って書きましたけど、
 あれは、チームの体制も変わって練習をしようという雰囲気の時だったんで
 100球をクリアーしようと思って投げただけでした。
 実際、ちゃんと投げたのは50球くらいで、後は軽く投げていたんですよ」

 さらに、聞いた。

多い球数の投げ込みを必要だと思わないのか、と。
そうした風潮をどう捉えるのか、と。

「何のために投げ込みをするのか、僕は意味を見出せないんです。
 投げ込めば投げ込むほど何かが良くなるならいくらでも投げますけど、
 そうではないので。
 僕は普通でいいんじゃないかな、と。
 もちろん投げ込みたいという人もいるし、それぞれの意見もあると思う。
 ただ僕の場合は、投げない方がシーズンにうまく入れる。
 特に投げ込まなくても、肩のスタミナには自信あるし、
 フォームを固めるために投げ込みが必要だと言われますけど、
 オフで1、2カ月空いたくらいでフォームを忘れるとか、
 何百球を投げないと思いだせないような、やわなフォームはしていない。
 調整する方が大事だと思いますから、投げ込む必要はないと思っています」

 まさに、目からウロコが落ちるとは、このことである。


~新人投手こそ投げ込みより身体づくりを優先させるべき~

最多勝、防御率、奪三振など数々のタイトルを獲得した前田健は、
昨シーズンのキャンプでもその方針を貫き、調整をしていたのだ。
沢村賞を獲った投手でもあるだけに、より説得力があるというものだ。

考えてみれば、シーズンが始まれば試合で嫌というほど
投げる状況に追い込まれるのだ。
それに、シーズンは1年だけではない。
本人が納得するための投げ込みは必要だが、
それは最小限にとどめなければいけないのではないだろうか。

もちろん、前田健もつけ加えているように、
それぞれタイプがあるというのも否定はしない。
投げ込みをするのが好きなタイプもいる。
しかし、一律じゃないということを理解する必要がある。

キャンプ中に投げ込んだ数字にとらわれるのではなく、
徹底的に走り込みをするなど、
まずは身体を作っていくことがこの時期には必要なのではないだろうか。
年々、新人選手のブルペン入りが早くなっている傾向にあるように思えるが、
特に新人選手こそ身体づくりを優先させるべきなのだ。

冬の厳しさに耐え、春に新芽を出し、
夏に花咲き、秋に実りを迎える。

野球選手もまた、秋に歓喜を迎えるため、
冬場はしっかりとトレーニングに没頭し、
耐えしのぶ時期なのである。

急いてはならない。

選手も、首脳陣も、そして報道も……。


【筆者プロフィール 氏原英明氏】

1977年ブラジル生まれ。
奈良大学を卒業後、地方新聞社でのアルバイト勤務を経て、
フリー活動を開始。
高校野球を中心に活動を続けるが、
野球を通じた人間性、人生観を伝え続け、
Numberのほかに野球専門誌で活躍。
WEBの世界でも「人間力×高校野球」(高校野球情報.com)
と題したコラムを連載している。

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各テレビ局が競って特集を組む大スターになりつつある広島・マエケン
2010年05月30日 (日) | 編集 |
プロ野球交流戦はちょうど折り返し。
各チームとも別リーグ6球団との対戦を終えた。
明らかにパ・リーグの方が強いというのが正直な感想だ。
セVSパの42勝25敗1分けだが、
もっと差があるように感じる。
ファンなら誰もが思うだろうが、パの先発投手陣の
充実ぶりはすごい。

ダルビッシュ、涌井、岩隈、杉山、マー君・・・。
キラ星の如く名前が出てくる。
そんな剛腕たちにセでただ一人、対抗しているのが広島の
若きエース前田健太、通称マエケンだろう。
というよりも、この若者だけは現時点でパのエースたちを
上回っている気がする。
外角低めのストレートで見逃し三振を取るシーンは
一見の価値ありだ。

本紙専属評論家、野村克也氏がよく使う言葉に
『原点の球』がある。
打者の外角低め。
そこにいかに力のある球を投げ込めるか。
今のマエケンの投球なら、辛口のノムさんも目を細めるかも。
そんなマエケンから『原点』の言葉を聞いたのが今年1月。
母校・PL学園の新年初練習に姿を見せ、
後輩から離れて黙々と走り込んでいた。

『このグラウンドが僕の原点。
 気持ちを新たにできる場所です』―。
広島担当・山田記者に聞くと、キャッチボールの際、
グラブは腰にくっつけて、右手だけで投球する。
こんなことをする選手は聞いたことがない。
高校時代に教わった練習で、今もマエケンの『原点』の
練習法なんだとか。

チームの大エースだが、1軍投手陣最年少の22歳。
ゆえにボールを運んだり、ノックの際の捕球係もすべて仕事。
そんな若者が今や、各テレビ局が競って特集を組む
大スターになっている。
ダルにも成瀬にも投げ勝った最高にノッてる右腕。
見に行って損はないと思う。


        サンケイスポーツ 『甘口辛口』より
                   上田雅昭氏
<天才の横顔>前田智徳 もののふの恥じらい
2010年05月29日 (土) | 編集 |
              藤島大=文


重たそうに引きずられる足、閃光のインパクト、
野手の届かぬ空間を裂く打球、
ああ、ここに前田智徳がいる。
奥の歯を噛んで笑みを封じる塁上の瞬間、
市民球場には善良なる市民の歓喜と安堵が交錯するのだった。

誰かは「サムライ」と書いた。
「天才」の見出しなら常にそうだった。
ただいま34歳。
九州は熊本の工業高校から球界を生きる場と選んだ男は、
いまだ青年の切れ味をたたえる打撃技術で、
本日も入場券の価値を高める。

 10年前の5月23日。神宮球場。

打つ。走る。守る。
すべてに優れた入団6年目の才能は、厳しい現実に襲われる。

 右アキレス腱断裂。

二塁ゴロで一塁へ駆けて、そのまま倒れた。
当時スワローズ遊撃手、池山隆寛は、
確かに鈍い濁音を野球帽の下の耳にとらえた。

「『ブチッ』という音が大歓声の中からはっきりと聞こえてきた」
(Number499号)

翌日、2時間半の手術。
8月4日まで入院。
以後、思うように走れず、踏ん張れず、再発の恐怖につきまとわれ、
つまり前田智徳は苦しみ、しかし、
欠落の分だけの新しい魅力を発散させながら重い歳月を過ごした。

左の打席へつく。
ゆったりとした動作が、いつしか小さくスキのない構えへと収まる。
右側の「体の壁」は絶対に崩れない。
世俗を超えた空間と時間は、突然、
メール送信の速度のスイングをもって消えた。

「天才」。
かの落合博満も、前田智徳をそう評したとされる。
アキレス腱を切り、それでも翌年度に打率3割を超えるなど、
負傷と伴走しながら一流打者の地位に揺るぎはない。
いつかイチローが最高の敬意を捧げたのは有名である。
天才?
「それは前田さんのような……」。

野球は理を究めている。
ただし、生き方は不器用である。
一途ゆえ、円満を拒む。
とことん記者泣かせ。
実は、本稿もインタビューを申し入れたのだけれど断られた。

それでも広島へ行こう。
ともかく見る。
その前に聞く。
往年の主砲、山本一義、
さらに軽妙な広島言葉が本質を突く達川光男、
ふたりのカープOB・現解説者がそれぞれ時間を割いてくれた。

 まずは次の質問を。

 前田智徳、天才ですか。

 「いやあ天才じゃない」

 達川光男の即答である。

 「あれはね、僕はとにかく練習でここまできました、
  そう言うたね。
  突然、閃いたらバット振るらしい。
  ワシなら閃いても、まあ明日にしようか思うけどね」

 現役、重なってますよね('90-'92年)。

 「最初のヒット、ヤクルト戦で川崎(憲次郎)から
  レフト線に打ったの覚えてますよ。
  新人で一軍に入ったからね。
  カーブかスライダーやったけどね」

ある日のバント練習。
頭脳派で鳴らしたベテラン捕手は、
熊本からやってきたルーキーに声をかけた。

 「バッターボックスに入って、どの球、待っとるんや」。
少年の顔の前田智徳は答えた。

 「いや、きた球を打つんですよ」

あれから15年、
スタジアムそばの飲食店で、のちに監督としても
「きた球を打つ男」と接した達川光男は笑った。

 「凄いな、お前。そう言いましたよ。
  それが最初の会話やったね。
  最初から左(投手)を苦にしなかったのも印象に残っとるね」

 監督('99-'00年)として四番にすえました。

 「僕ではふさわしくない。
  そう言うたよね。
  アキレス腱を切ってなかったら喜んで打たせてもらいますと。
  いまは故障したら治す自信がない。
  四番は一年間すべて出なくてはならない。
  ものすごく四番という打順に敬意を表したよね。
  そういう人間なんです。
  個性派のようで気を遣うタイプじゃね」

 もしアキレス腱を切ってなかったら
('00年には左アキレス腱も手術)。

 「メジャーの言い方なら3・3・3。3割。30本。30盗塁。
  それにゴールデングラブ(優秀守備者)賞も。そういう選手ですよ」

 負傷後も打率3割は記録できている。

 「ただ本人が言っとったけどね。
  僕は復帰はしたけど復活はしてません。
  打って守れて走れたら復活ですと。
  そういえば、この前は試合中のコメントでこう話した。
  開かずに開いて打ちました。
  下半身は開いても右肩は開かないという意味や思うけどね。
  復帰はしたけど復活はしてない。
  開かず開いて打つ。
  うまい表現よね。
  研究するんですよ。
  ミーティングも聞かんふりしてよう聞いとる。
  ビデオも見らんふりしてよう見とる。
  きた球を打つんやけど読みも凄いよ。
  相手が自分をどう攻めるかを考えながら練習する。
  自分で自分をよう知ってるの」

05・7・21記事

(以下、Number632号へ)

天才・前田智徳が帰ってきた!その“一射絶命”の精神が広島を救う
2010年05月29日 (土) | 編集 |
             氏原英明 = 文 


「一射絶命」という言葉をご存じだろうか?

弓道における正しい心のあり方を示す言葉である。
ベースボール・マガジン社発行『一射絶命』(ケネス・クシュナー著)
には、この言葉の意味をこう記してある。

「どんなことにでも、自己のすべてを尽くしてぶつかってゆくのだ。
 どんなことも、この世でただ一つのこととして行うのだ。
 弓で言えば、この一本の矢を射ることが一生で一度しかないこととして、
 すべてをこの一箭にかける」

この言葉がまさに似合う、一打に懸ける男の姿が、
今シーズンのセ・リーグにある。

 広島・前田智徳である。

現役生活21年、
イチローをはじめとした幾多の一流打者から
「天才」と一目置かれながら、
故障でシーズンの多くを棒に振った孤高のヒットメーカー。
常に全力プレーを心掛け、
自分を厳しく律する彼の姿は弓道の心に似ている。

 その前田智が、ここ数年で一番の活躍をしている。

 特にこの1週間の彼の活躍は、広島ファンの心を射た。

5月19日の対オリックス戦。
約2年ぶりのスタメン出場を果たした前田智は、
その第1打席で右翼線を破る二塁打を放ち、
前日に2-11と大敗していたチームに蔓延する重たい空気を
振り払ったのである。

試合は8-2で勝利。
開幕から不振で苦しんでいた選手会長・石原が本塁打など
3打点の活躍をするなど、
前田智の一打が与えた影響は単なるヒット以上に大きかった。
チーム快心の勝利だった。

~悲運の天才はブラウン前監督には理解されなかった~

 前田智ほど「悲運」として、語られる選手はいない。

'89年のドラフト4位で広島に入団。
1年目に初出場、初安打。
2年目の開幕戦の初打席で初本塁打を放って、レギュラーを獲得。
チームの顔になった。
ゴールデングラブ賞、ベストナインをそれぞれ4回ずつ受賞。
オリックス時代のイチローが「憧れの選手」に前田智を挙げるほど、
彼の走攻守のパフォーマンスはずば抜けていた。

それが'95年、試合中にアキレス腱を断裂。
そこから不遇の日々が始まった。
復帰を果たすも、故障を繰り返して満身創痍の戦いが、
彼には付きまとった。
それでも、'02年にカムバック賞を受賞するなど、
その底知れぬ忍耐力は多くの感動を呼んだ。
しかし、'07年に2000本安打を達成したものの、
ブラウン前監督が若手を重用する起用法から、
故障を抱えた前田智の出場機会は激減。
'09年は1打席もバッターボックスに立つことなく、
シーズンを終えていた。

~野村謙二郎新監督の下で蘇ったDH前田智徳~

前田智への風向きが変わり始めたのは、
野村謙二郎新監督が就任してからだ。
古き良き伝統を復活させた新指揮官の方針は、
前田智に一つのポジションを与えた。
代打としての出場機会が用意されたのだ。

3月12日オープン戦の対阪神戦。
前田智は復活の狼煙を上げる。
2点リードの展開で、
いかにも試されるかのように代打に送られた前田智は
その初球をスタンドへ放り込んだ。

彼らしく、バットをボールに軽く合わせただけの
柔らかなバッティング。
実に、1年10カ月ぶりの本塁打だった。

 試合後、前田智はほとんど口を開かなかった。

かすかに漏らしたのは
「僕がコメントできる立場じゃない」という
素っ気なくも厳粛な言葉だったのだが、
こうした姿勢も前田智らしくていい。

この時、野村監督は前田智の一打への集中力の凄味をこう表現した。

「1球で仕留めるのがさすが。これでチームは盛り上がる」

まさに、「一射絶命」の世界である。
一振りに全身全霊を懸ける姿こそ、前田智の姿ではないだろうか。
全盛期にはホームランを放ったにも関わらず、
納得がいかないスイングに首をかしげながら
ダイヤモンドを回ったほど誇り高い男である。
目先の結果にとらわれず、
理想のバッティングを追い求める前田智の姿勢は、
それこそ、侍のような世界観を持っている。

一打への集中力、ココ一番の勝負強さ。
過度に喜びを表現しないクールさと野球への実直な取り組み、
自分を律する厳しい姿勢。
晩年の今になっても、
広島ファンだけでなく多くのファンから
カリスマ的に支持される理由はそこにある。

~両足の状態は良くないが、代打としての準備だけは万端~

 今季、前田智は開幕から一軍入りを果たしている。

4月16日の対中日戦では、
16年ぶりとなるサヨナラヒットを放った。
カウント2-0と追い込まれながら、
セ・リーグ随一のセットアッパー・浅尾拓也のパームボールを
中前へとはじき返した。
技ありの一打だった。

冒頭のオリックス戦の後も、前田智のバットは火を吹き続けている。

21日のソフトバンク戦では、
勝ち頭・前田健太をラクにさせる追加の2点本塁打を放った。
25日の西武戦では敗れはしたが、
1-8から猛追する中、
前田智は1点差に迫る2点適時打で勝負強い打撃を見せている。

野村監督は起用が当たった前田智の最近の活躍をこう語っている。

「足が良くないという状態ではありますけど、
 ずっと代打という中で準備だけは怠らない姿勢はさすがの一言。
 みなさんもご存じだと思いますが、
 試合前はバッティング練習もして、しっかりノックも受けている。
 こういうときのために、
 準備を怠らない姿勢は見事だった。
 それがつながっている」

2点本塁打の翌日、スポーツ紙には前田智のコメントがこう掲載されていた。

「一打席目に打たないといけなかった」

 “一射絶命”の精神が、前田智の中には潜んでいる。



【筆者プロフィール 氏原英明氏】

1977年ブラジル生まれ。
奈良大学を卒業後、地方新聞社でのアルバイト勤務を経て、
フリー活動を開始。
高校野球を中心に活動を続けるが、野球を通じた人間性、
人生観を伝え続け、
Numberのほかに野球専門誌で活躍。
WEBの世界でも「人間力×高校野球」(高校野球情報.com)と題した
コラムを連載している。

生え抜きスターが監督に。 野村謙二郎が見せた潔さ。
2009年12月26日 (土) | 編集 |
~来季の広島は“脱ブラウン”~  

               永谷脩 = 文  


12年連続でBクラスに低迷する広島東洋カープ。
再生役として白羽の矢が立ったのは43歳の野村謙二郎である。

12球団最年少監督になる野村の現役時代は
緒方孝市、前田智徳とともに、
「広島三羽ガラス」と呼ばれ、
2005年には2000本安打を達成した名選手だった。

成績だけでなく、若手の頃から後輩に対する面倒見の良さ、
そして年長者に対しても自分の意見をきちんと伝えることで、
チーム内で存在感を発揮。
早くから将来の監督候補に挙げられていたものだ。

~前監督のメジャー流を撤廃し、広島伝統の猛練習で鍛え直す~

'09年、新広島市民球場が完成した時の目玉として
「野村を新監督に」という動きもあったが、広島フロント陣の
「1年目は目新しさでお客さんも集まるが、本当の勝負は2年目から。
 2年目以降は、広島の伝統を守り続けられる監督に任せることが、
 集客につながる」
という思惑で見送られたと聞く。
そしてこのオフ、満を持して広島の新監督に就任したのである。

「自分達が若手の時は優勝を狙えるチームだったのに、
 今ではクライマックスシリーズ狙い。
 これでは寂しい。
 入団したての頃、大下剛史ヘッドコーチから、
 休日でも引っ張り出されて猛練習させられた。
 その伝統を復活させ、チーム強化を図りたい」
と秋季練習から厳しい練習を行ない、改革に取り組んでいる。  


特にがらりと調整法を変えたのは、投手陣である。
「コントロールがロクにない連中が、
 20分の投球練習で切り上げるようではダメ」と、
徹底した投げ込みによる下半身作りを指示したのだ。 


~大野豊ヘッドコーチとの二人三脚で赤ヘル軍団復活なるか~

野村の片腕になるのが、現役時代を共に過ごし、
ヘッドコーチ兼投手コーチとして入閣した大野豊である。
大野も
「球数制限などで登板機会が少ないため、育ちかけた芽もなかなか伸びない」
と広島OBを嘆かせた前監督の投手起用を廃止し、
「猛練習を積み、苦労してこそ成長する」
という野村式起用法をサポートしていくはずだ。 


新指揮官は駒澤大時代の恩師、太田誠が
「アイツはどこに出しても恥ずかしくない」
と太鼓判を押すほどの好人物。
また退路を断って単年契約で臨む野村の潔さも、
OB達から歓迎されている。
持論である
「選手は走攻守、全部揃って一人前」を目標に掲げ、
赤ヘル軍団復活を目指す。