日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
スポンサーサイト
--年--月--日 (--) | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
社会貢献も自然体
2011年06月20日 (月) | 編集 |
読売新聞より 『挑む (下) 』 ~小笠原 道大~


背中に視線を感じ、練習中の巨人・長野久義(26)は
「ぞくっとして」振り向いた。
『誰よりも、ガッツ(小笠原)さんに見られると
 緊張します』―。

一切の妥協なしで、戦いに備える先輩の日常を知っているから、
若手は気合を入れ直す。

心に隙があると、あの人に見透かされるぞ―。


小笠原が姿を現すと、フィールドの空気はピンと張り詰める。
絶大な影響力は、しかし、
ユニホームを脱いでも薄れることがない。



多岐、長期にわたる社会貢献活動が評価されて、
2009年、
ゴールデンスピリット賞(報知新聞社制定)に輝いた。
球団代表兼ゼネラルマネージャー(GM)の
清武英利(60)は
『受賞を伝えたら、彼は「矛盾を感じます」と答えた。
 「陰でやるべき活動なのに、表彰されると目立ってしまう」
 とね』と振り返る。

そんな男の価値観に近年、変化の兆しが表れた。

00年、自宅のある千葉県市川市の社会福祉協会に、
寄付を開始した。
以降、活動の幅は継続性を保ったまま広がっていく。

児童養護施設の子供を公式戦に招待したり、
小児ガン患者と家族を支援するNPO法人に協力したり、
地震などの被災者へ義援金を送ったり・・・。

『伏し目がちだった子供の表情が、パッと明るくなる。
 疲れきったお母さんの顔が、一瞬でも和らぐ。
 そういうのが、うれしかっただけ』―。

ところが、活動の積み重ねは視野の拡大につながり、
新たな課題が見えてきた。

『苦しんでいる当事者、支えている家族、
 それをサポートする人々や団体。
 助けを求める人は、限りなく存在する。
 一人じゃなく、大勢の力が集まれば、
 笑顔になる人が多くなる』―。

だから、

『性格的に、積極的なアピールはできそうにない』けれど、
『無理に自分の活動を隠すことはない。
 誰かが行動を起こす、そのきっかけになる可能性があるなら』
と決めた。


球団に対し、
『何らかの形で、社会の役に立ちたい』と相談を持ちかけてくる
巨人の選手が、明らかに増えたそうだ。
清武は、
『小笠原君の存在が大きいんじゃないか』と言う。
『彼は、我々が求めていた「見て学べる」人物。
 フリーエージェントになったら、何としても獲得したいと
 思った』―。


あくまでも、自然体を貫くロールモデル(模範的存在)。
今季、主将の阿部慎之介(32)が故障で離脱している間、
代行として小笠原の名前が挙がった。
もちろん、誰も異論を唱えなかった。


読売新聞掲載  ~田中富士雄氏~

スポンサーサイト
独自の進化15年目
2011年06月13日 (月) | 編集 |
読売新聞 『挑む (中) 』 ~小笠原道大~ より


娘に細心の携帯型デジタル音楽プレーヤーを薦められ、
買い求めたはいいものの、
あまり活用せずに手放してしまった。

『機能が多すぎてねえ。ちょっと昔の、
 音楽が聴けるだけのヤツで十分なんだけどなあ』―。

今年の秋で38歳。
老け込む年齢でもないけれど、
小笠原の発する“香気”は、『サムライ』の印象も手伝って、
どこか時代めいている。


もっとも、セ・パ両リーグで最優秀選手に輝き、
通算2000本安打も達成したスラッガーは、プロ15年目。
選手として客観的に判断するなら、
明らかに『ベテラン』だ。


背番号2の打撃フォームが、数年前と比べて変化していることに、
ファンも気付いているだろう。
肘は伸ばし気味で、グリップの位置は体から離し、
バットは外向きにグンと倒す―。

いわゆる『神主打法』の構え方は、長い間、
小笠原のトレードマークの一つだった。
ところが、近年、肘はたたまれているし、
バットの角度は垂直か、むしろ内側へ傾いているぐらい。
球界屈指の左打者に一体、何が起きたのか。


『無意識っちゃあ、無意識に変わったかな』と
小笠原はつぶやく。

『最初は(バットが)立っていたと思う。
 3年目か4年目か、そのあたりから次第に(構えが)
 大きくなっていった。
 スムーズに振れる位置を探して、自然に。
 今も、意図してるわけじゃない。
 そういう体だってこと。
 バランスや仕組みという意味で』―。


謎解きのような説明なので、同じ『神主打法』で活躍した
巨人のコーチ・江藤智(41)に継いでもらう。

『長くやっていると、
 出来るだけシンプルな形にしたくなるんだよ』―。

つまり、加齢に応じて打撃の効率化を進めるため、
小笠原の構えは小さくなったらしい。


どう水を向けられても、絶対に『衰えた』と口にしない。
実は昨夏、こんな言葉を漏らしている。

『体力が落ちたからとか、痛んでるとか、
 そう考え始めたら、きった現実になる。
 だから、マイナスなことは自覚しない。
 「ベテラン」だなんてね、
 オレは認めないよ」―。


アスリートは、いつまで進歩し続けるのか。
『体力、技術、知識、その比率は状況によっても
 人によっても違うけど、
 ずっと「うまく」なっていくと思う』と、
小笠原の答えは明快だ。
ただし、条件がある。
『その気持ちさえ、保っていられるなら』―。

歯切れの良いセリフ、鋭い眼光、引き締まった肉体に、
若々しさがにじむ。
 
努力の人 『飽きない』 才能
2011年06月10日 (金) | 編集 |
読売新聞 6月8日付け 

挑む(上)より  
プロ野球 小笠原道大(37) 


闇の中で聞こえてくるのは、かすかな寝息だけ。
そんな小笠原家の静寂が、突然に破られた。
『いつだったかなぁ』と頭をかき、
『朝になってね、うちの奥さんに言われた。
 「あなた、寝ぼけて叫んでいたわよ。
 レフト!だの、ライト!だの」って』―。
このスラッガー、夢の中でも白球を追いかけているらしい。


弱肉強食のプロ野球界で14年間、生き残ってきた。
自ら『器用じゃない』と認める背番号2を、
今の地位に押し上げたもの―。
それは多分、努力することに『飽きない』才能だ。


過去4年、オフの自主トレーニングに同行してきた
巨人の打撃投手・白井正勝(44)の証言に、耳を傾けてみる。

『彼の何がすごいって、毎年同じ作業を繰り返せるところ。
 「つまんねぇ」なんて言うけど、ホントに楽しそうだよ』―。

試合前の準備運動、トレーニング、打撃練習、
試合後の体の手入れと、
それぞれについて見事なまでに、ルーチンが確立されている。
独特の手順で進められるティー打撃は、
多くのファンが目撃しているはず。

まずは右腕のみでバットを掲げ、トスされたボールをコツン、コツンと
はじく。
次は左腕で、コツン、コツン。
続いて両腕でカツーン、カツーンと打球音を響かせる。

―よく飽きない

『飽きるという感覚には、ならないでしょ。
 やらなきゃいけないんだから』―。

―練習に変化をつければ、新たな刺激になるが

『刺激・・・・・・。
 いらないな。
 限られた時間で必要なことをやり切って、
 納得して1日を終えられたらいい』―。

―毎日を精一杯に過ごせばいい?

『そう。社会人球団を経てプロに入って、
 「1年で結果が出なければ、契約解除になる」という思いが
 強かった。
 (日ハム)入団と一緒に結婚してるし、先を考える余裕なんて
 なくて。
 「やっておけば良かった」と後悔したくない。
 その気持ちは変わらない』―。


プライベートは意外と淡白。
ふと思い立って長編ドラマのDVDを全巻、購入しても
『数話分を眺めて終わっちゃう。
 後で見りゃいいやって』―。
だから、思わぬ資質を引き出した野球との出会いは、
運命的なものだったと言っていい。


5月5日、通算2000本安打の金字塔を打ち立てた。
もちろん、大記録達成で飽きるわけもなく、
次の1本を打つために、飽きることなく汗を流す。

投球術
2011年05月18日 (水) | 編集 |
巨人のルーキー沢村がなかなか勝ち星に恵まれない。
12日の横浜戦も5回に味方打線が3点取って3-2とした直後に、
逆転2ランを浴びて3連敗。
ニ死走者なしで村田にカウント2ストライクから右前打され、
次打者ハーパーに初球の直球を右翼席に運ばれた。
せっかくのリードを、たった2球でフイにしてしまった。

同じルーキーの斎藤(日ハム)なら、どうだったか。
本紙(サンケイスポーツ)専属評論家の江本孟紀氏は
『ハーパーには、まずボールから入ったろう』という。
『斎藤は球威はないが、勝負球、逃げる球、
 ストライクを取る球といったように
 投球術を心得ている。
 沢村は球こそ速いが、投球術という点ではまだまだ・・・』

高校時代から“修羅場”をくぐってきた斎藤に対し、
沢村が投手として本格的には 投げ始めたのは中大から。
力任せに投げ、たまたま勢いで押さえ込むことはあっても、
プロの水はそう甘くないらしい。
江本氏は
『ウエートトレ派のようだが、投げ込み、走り込みは十分なのか?
 後半極端にスタミナ落ちするのも気になる』とも指摘する。

沢村と入れ替わりに中大には昨年春夏の甲子園を制した
興南の左腕エース島袋が入った。
東都の開幕投手になり、ここまで4試合に登板。
リーグ3位の防御率1.32と好投しながら競り負け、
白星なしの3敗というのも先輩に似ている。
打線との巡り合わせもあるだろうが、
点を取られても勝てる投手は勝てる。

沢村も島袋も、素晴らしい素材であることは誰もが認めるところで、
後は江本氏のいう投球術。
他の投手の攻め方も学んで視野を広げ、
ここというときの1球の重みを知って、
ただのいい投手から勝てる好投手に育ってもらいたい。


     サンケイスポーツ 『甘口辛口』(5月13日付け)より
                       今村忠氏
小事は大事を生む
2011年05月09日 (月) | 編集 |
『百里を行く者は九十を半ばとす』。
物事は終わりの部分に困難が多いから、九分通りを半分と心得て、
最後まで緊張と努力を続けなければいけないことを意味する
中国の故事だ。
残り11安打でシーズンに入ったが、まさかの不振。
巨人・小笠原道大内野手の通算2000本安打到達は、
17試合の長旅だった。

『やっぱり意識しました。
 普段あれだけのカメラが集まることはないので』と
正直な話した。
口さがない評論家は
『ガッツも人の子』と言ったが、ソフトバンクの王貞治球団会長は
『人間らしさを垣間見た気がします』と称えた。
“プレッシャー”で足踏みしたのも、努力の人らしさなのだろう。

1997年、ドラフト3位で日本ハムに入団。
中堅以外の全てを守った経験があることから
『コンビニルーキー』と呼ばれていたそうだ。
1~2年目は捕手としてプレー。
空振りしたマルティネス(当時西武)のバットが、
捕手・小笠原の後頭部を強打し、意識朦朧となった場面を
“珍プレー”で見たが、まさにガッツの根源だ。

すでに3500安打(日米通算)を超えている
マリナーズのイチロー外野手とは同い年で、
誕生日が3日遅いだけ。
『柔』の男とは対局に位置するフルスイングの『剛』の男は、
『野球が10あるとすれば、まだ1も分かっていない気がする』―。
道半ばと謙遜した。

97年から2年間、日本ハムで同じユニホームを着てプレーし、
ガッツの野球観に影響を与えた中日・落合博満監督は、
『何がそんなにめでたいんだ。
 2000本打って辞めるのか?
 続けるんだろ?』。
こちらも通過点でしかないというオレ流の祝辞。
野武士がバットに記す『道』の文字は、百里まで続くはずだ。


 サンケイスポーツ 『甘口辛口』(20011・5.7付け)より
                        清水泰史氏